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医師不足は避けられますか? 国は何をし、地方はどうしたら良いですか? 医師はどうすべきで、患者は何を求めますか?
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また悲しい問題が起こりました…
亡くなられた方のご冥福をお祈りします

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2008年10月22日 読売新聞
脳出血に「対応できぬ」と7病院が拒否し、妊婦が死亡
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自分であればどうしたであろうと考えます
母体搬送依頼に応えるには多くの手続きが必要です
緊急帝王切開術を行うには最低2人の産婦人科医師が必要です
緊急時全身麻酔を行なう麻酔科医が必要です
新生児管理の新生児科医が必要です

その他今回のように脳出血を伴う場合脳外科医も必要です

今回初回の搬送依頼時に脳出血の診断に至らなかったと言う事ですが
それは仕方がありません
前医が「脳出血疑いの妊婦です」と疑い病名をつけて搬送依頼をしているならまだしも
電話による症状のみで、脳出血の診断に至りそれを前提に行動する事を求めるのは
医師に「神であれ」と要求しているようなものです

ですが、なぜ救えなかったのか?との疑問に答えるために
診断能力不足を前提に批判が行われる事が予想されます

まずシステムとして産婦人科医自体不足しており、受け入れが困難であったこと
医師の耳にはCTもMRIも付いておらず、診断を下すのは困難である事
を考えれば
今回のcaseは決して医師個人の問題ではありません

このcaseから医師の集約化の動きが活発になるのは当然と思いますが
敢えて病院・医師を攻撃する事に全く意味はありません

医師が豊富であれば良かっただけです
受け入れ可能で検査を行えれば良かっただけです

ただそれだけの事が、今の日本で決して当然出ない事を考えれば
今回のcaseは不可避であったとしか言えません


自分であればどうしたであろうと考えます

その病院は自分の病院であったかもしれず、その当直医は明日の自分である
かもしれないからです

どうかこのcaseが犯人捜しにならないように祈ります 
当直医がスケープゴートとならないように祈ります 

それは明日の自分の絶望につながります  
産婦人科医療の崩壊につながります 

システムの不備を個人・病院の責任に結びつけない議論を望みます

 

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久々のブログ投稿です


読売新聞社は先日医療改革について提言を行いました
その中でも

・医師不足招いた「自由選択」
・医師を全国に計画配置

の記述について、地方勤務医の産婦人科医として幾ばくかのコメントをしたいと思います
多くの紙面を割いての提言ではありますが、容量が多い分突っ込み所満載で、どれから手をつける
べきか難しいところです。
多くの医療系ブログにて批判的に記述されていますので、こちらでは以下の記載について主に手を
つけてみたいと思います

以下2008年10月16日 読売新聞より引用 青字:原文 赤字:trias記述
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医師不足が問題化したのは、2004年度に始まった医師の新たな臨床研修制度(義務研修)が
きっかけだ。研修先として、出身大学ではなく、都市部の有力病院を選ぶ新人医師が増え、地方の
大学病院などの人手不足が深刻になった。医師が、勤務する診療科や地域を自由に選べるため、
偏在につながっている。

 本来研修医の参入が数年途絶えただけで、組織として回せない体制ならば、それは始めからマン
 パワーと仕事量のバランスが取れていません
 綱渡り的に、数人の減でシステムが破綻する組織ならば研修医制度がどうあれいずれ後先が見え
 ていた事でしょう。
 元々医師の献身的な働きでカバーされていたものが、臨界点を突破して発露しただけであり。2004
 年の初期臨床研修制度の発足は原因ではなく、トリガーでしかありません。
 記事では「きっかけ」として表現されていますが、トリガーはトリガーでしかなく、そのトリガー、初期臨
 床研修がなくても遅かれ早かれ別のきっかけが医療崩壊のトリガーとなっていた事でしょう。
 産婦人科分野に限れば、大野病院事件は必要十分条件であったと思います。
 
 確かに地方の大学病院の人手不足は深刻です。ですが、それは初期臨床研修「医(師)が診療科や
 地域を自由に選べるため、偏在につながっている」と言う単純なものではありません。
 確かに今回の21年度のマッチング結果を見ても、地方で県単位の人数として研修医を減らしている
 県があります。
 ですが、地方であっても、大学病院では人数を減らしながら県単位では研修医師数を増やしている
 県はあります。
 それは大学病院自体に研修の魅力がない事を示している事になります。

 大学病院のように、本来看護師・看護助手・薬剤師・事務がするべきような仕事で、研修医から上級
 医まで疲弊しながら雑務に追われる様な病院は元々研修にふさわしくありません。
 その点を改善せずして、人が集まらないのは当然です。

 研修医はその(都)道(府)県において初期研修をするのを嫌うのではなく、プログラム内容を含めた病
 院の総合力で大学病院を始めとする、研修医が集まらない病院を忌避しているに過ぎません。
 大きな地域単位(道・県)で見れば、研修医を呼び込む事は不可能ではありません。ですが、市町村
 単位で全ての病院に研修医を呼び込む調整をするのは困難です。
 それは、あなたは研修をする上で総合力で上回る病院で研修をするのを諦めて、勝るものは何もな
 い病院で研修をしなさい、と宣告するのと同じ事です。

 勿論最初から応募者数と採用数の人数が同じであれば、否応なく研修医も選別されて総合力で劣
 る病院での研修を余儀なくされる人も出てくるでしょう
 ですが、現実問題として、総合力で上回る病院が育成できる研修医の人数は決して少なくなく、応募
 者数を上回る採用枠がマッチングプログラムとして用意されています
 これを利用して、より良い研修を受けようと、より良い研修病院へ初期臨床研修医・後期研修医が集
 まるのは当然の事であり、決して非難される類のものではありません。
 
 仮に人が集まらない市町村の病院へ研修医を誘導しようとするならば、総合力で勝る病院の定員
 数を削減し、応募者数と採用数を同数にし、強制的にマッチさせるしかありません。
 ですが、それは本来恵まれた環境で育成可能であった研修医を、敢えて総合力で劣る病院で研
 修をさせると言う事に他なりません。
 物理的に育成が出来ず受け入れ困難なのではないにも関わらず、敢えて劣る環境で研修をさせ
 る事に意味はないと考えますし、それは義務化される際の初期臨床研修制度の理念にも合わない
 はずです。

 確かに研修する病院はマッチングによって自由に選べます。また通常の勤務医も診療科・地域を
 自由に選択できます。ですが、それはより良い環境で研修を受ける事に大きな理由があります。

 そこで、医師の研修先を自由選択に任せるのではなく、地域・診療科ごとに定員を定め、計画的に
配置するよう制度を改める。対象は、義務研修を終えた後、専門医を目指して3~5年間の後期研修
を受ける若手医師とする。そのため、地域の病院に医師を派遣してきた大学医局に代わり、医師配置
を行う公的機関を創設する。

 何故に、医師不足→いや元凶は医師の偏在→自由に選べるのが問題→規制しよう→医師の計画
 配置なんて短絡的な発想が可能なのかは理解できません。
 まず大元の、偏在を解消できれば現状が改善するという考えがわかりません。今後新規参入する
 3-5年目の後期研修医:約24000人頭の強制配置にて、どこをどうやり繰りするつもりなのでしょう
 か。
 若手医師を各都道府県に割り振るとして、医師が比較的集まっている地域として関東圏があります
 が、その都県への割り振りを全てゼロにするのは不可能でしょうし、都道府県の割り当てはどうする
 のでしょうか。人口対医師数及び診療科医師数の割合で割り当てしていくのでしょうか。

 医師数が比較的多い地域・診療科であっても、どこも内実比較的戦力となる後期研修医は足りず
 欲しがります。余っているところなどありません。
 それを地域のみならず、診療科までもコントロール可能とは、大言壮語甚だしく、まさに官僚的発
 想でむしろ楽観的な発想が羨ましくもあります。
 
 また、本人の希望とすり合わせて調整する旨の記載もありましたが、どの程度強制性を持たせる
 のでしょうか。仮に完全なる強制性を持たせたとしても、お望みのような医師数のコントロールは不
 可能だと思いますし、強制性を緩めるならば現状との人数差に大きな違いは出ず意味はありませ
 ん
 
 すなわち、3-5年目の医師に対する強制性を持った計画配置をしても、医療崩壊の現状は改善し
 ないと思いますし、むしろその副作用のほうがドラスティックに出現する事と考えます

 まず、医師の計画配置とは、ある程度の強制性を持っての文脈である事は間違いありません。
 これは憲法違反ならない確固たる根拠があるのでしょうか?
 かつて「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律盗聴法と呼ぶ俗称がありましたが、
 どこをどう言い繕うと、居住地・勤務地まで強制されるのであれば、それは「徴医制度」その
 ものです。公務員・及び会社員にも転勤はある旨の事も言われますが、それは契約を結んだ2者
 間の事であり、国が一般の国民に対し強制力を持って配置する制度が、前例として作られる事に
 強い危惧を覚えます。

 医療は公共財との文言も見られましたが、すなわち公共の福祉に反すると国が認定した際には、
 医師の基本的人権は制限されて然るべきと言う前提に立ち、読売新聞社は提言を行っているの
 でしょうか。医師はどこにおいても医師足り得ます。知識と技術を以て、健康増進に寄与します。
 それは地域・診療科問わずです。
 ですが、この提言は、その働きでは満足しない、もっと犠牲を払い、もっと働くのが当然であると、
 暗に示した医師批判でもあります。
 人を直接的に傷つけるわけでもなく、普通に働いている医師に対し、その場でそうして働いている
 事こそが、公共の福祉に反しているのだと、存在を否定している事と同義です。

 妻も子も親もいる医師に対し、その環境を犠牲にして、国に尽くせと
 実現するならば、恐ろしい国になるものです
 いずれ、看護師も、助産師も、その他の業種にまで配置論が及んでも、読売新聞社は何も言わ
 ないのでしょうか。そうなのでしょう。医師に対しては計画配置もやむを得ないと断言できるのです
 から。

 最後に大学医局に代わり、医師配置を行う公的機関を創設とありますが、全ての医師を管轄下に
 置きたいとの素直な発想で、嗤えます。確かに楽です。全て手駒のように医師を配置できれば。
 ですが、そんな公的機関に従う医師がどこにいるのでしょうか?
 医局人事には従えても、見ず知らずの木っ端役人の言う事などに従う道理がありません。
 同じ環境に身を置いて、同じ患者を診て、同じ手術をして、同じ当直をして、同じ苦労をして来た仲
 間が困っているなら、助けに行こうとも思います。頑張ろうかとも思います。
 ですが、強権発動でただ指示される病院へ配置される医師のモチベーションはどうでしょうか? 
 数年の刑期にも似た配置年限を終えるのを、指折り数えてひたすら待ちます。
 強権的に配置した以上、仕事量の管理義務は公的機関にあります。善意のサービス残業は行わ
 ず、公務員的な時間に沿った勤務となります。それは決して非難される事ではなく、労働基準法に
 沿った正当な勤務態度です。
 夜間当直・拘束時間を含めたマンパワーを、その公的機関は確保・維持できるのでしょうか?
 配置年限が終了した後に、逃げるように去って行っても非難されるいわれはありません。

 本当に、公的機関がマネージメントできると考えているなら楽観的で素敵です。
 勿論強制力を強化して、罰則を強化して、そんな態度には逮捕も辞さないと言った、非人道的な
 体制を公的機関が持つなら別ですが。
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コメントできた文面は僅かです。
ですが、その短い中に、勤務医として思うところが多くありました

読売新聞社の提言はアドバルーン的な面が大きく、これらが実行に移されるのは問題山積で
近いことではないと思います。またそう願います。

まあ2008年10月19日、本日の新聞に

 

 

医師計画配置に前向き…厚労省医療課長「よい規制」


と言う自画自賛記事が載っていて、少し嗤えます。

医師不足の原因は一義的ではなく、読売新聞社の提言の中には「安心医療に金惜しむな」など
まともな事を言っている点もあります。

ですが、力点が計画配置のような強制論に置かれている点が、認識の甘さ及び非医療従事者の限界かと
思います。
ですが世の中の流れを作り決定していくのは、その非医療従事者達です。
声ある声として届いていって欲しいと思います


勿論、医師計画配置なんて実現したら、そんな国からは去りますが

 

我々は福島大野病院事件で逮捕された
産婦人科医師の無罪を信じ支援します

あれから2年が経ちます
多くの医療系ブログでこの件に対しエントリーされています
その皆さんと同じ気持ちで、私も去年に続き記事を書きます
少しでも、医療従事者以外の心にも、我々の声が届きますように

同じ産婦人科医として、この逮捕はいつ我が身に降りかかるかもしれない事件として
心に刻まれました
医療は絶対ではない事、不確定要素を含み
なし得る最善の治療をしたとしても、患者の状態が快方に向かわない
その事を噛みしめながら日々臨床に当たります
もう少し何かできたのではないか、もっと早く介入できたのではないか
そうすれば患者さんの状態はもっとよくなったのではないか

その振り返りを繰り返し、次の患者さんの診療に当たる毎日です

ですが、そのフィードバックをいかに繰り返しても
避け得ない突発的なアクシデントは、医療には存在します
それを後方視的に非難し、結果論で責めたてる事は非常に簡単です
ですが、それを心ある医療従事者は決して行いません
それが明らかな過失、未熟な技量によるものなら改善の余地はありますが
そうでないならば、その非難は自己満足以外の何も生み出さないからです

産婦人科において一人科長で地域の周産期医療を担う事は
心身ともに大きなストレスとなります
365日24時間on callである事が当たり前
年に200例の分娩が全て上手くいって当たり前
当り前である事が、当り前でない事に気付いてもらえない地域でも
期待に応える責務のみ担わなければいけない、そのストレスは
地域から医師が逃散する大きな理由となります

医師は数々の場面で、その役割を担うに足るかどうか試されます
初めて一人で分娩を取る時、初めて産直に出る時、初めて帝王切開を行う時
初めて一人科長を任される時
それぞれの場面で、ある一定の技量に達したと認められ、次のステップに進んでいきます
それを任されるのはそれまでの背景となる診療と、診てきた患者さんがいるからです

その場面で状況を任された医師が
突発的なアクシデントに遭遇し、結果として不幸な転帰となった時
その医師を責めたてる事は、その場面に遭遇する状況を結果として生み出した
システムの問題を無視し、個人の責任に帰結する乱暴な議論です
人手が足りないのは、その個人の責任ではありません
応援がすぐに駆け付けられない状況は、その個人の責任ではありません

一人が、その状況で出来得るベストな診療を尽くした時
周囲がその個人を責めたてる事は、安全地帯から非難しているだけです
その立場に立った時、その個人以外の誰しも別の方法で患者を救命しうると言うならまだしも
その立場に誰が立ったとしても、避けえない結果であると思うのが今回の事件です

一人の医師が地域の周産期医療を担っていました
そして予期し得ないアクシデントに遭遇しました
医療従事者は医療ミスではないと言いました
マスコミは医療ミスだと騒ぎました
地域の周産期医療を守っていた医師が逮捕されました
他の産婦人科医も、明日は我が身と恐怖を覚え地方から去って行きました
地域の周産期医療を守ってきた産婦人科医は去りました
たった一人の産婦人科医の逮捕に、全国の産婦人科医が反応しました
その逮捕された産婦人科医は、明日の自分だからです

ミスを犯していなくても逮捕される、そんな前例が2年前に生まれました
それが特殊なケースであるならば、全国の産婦人科医は自分の事とはとらえません
その産婦人科医はかつての自分であり、今の自分であり、明日の自分であるかもしれない
そう思うからこそ、全国の産婦人科医が反応しました
ですが、それをマスコミはわかりません。非医療従事者はわかりません

「医療ミスがないならば、なぜ死んだ」

そう問いかけられた時、私は絶望感を覚えます
昨日の、今日の、明日の私が、あの時逮捕されていたかもしれません
だからこそ、理解し合えない現状に絶望感を覚えます

必要なのは訴え続ける事です
わかってもらえるまで、訴え続けます

あの時逮捕された医師は間違った事をしていません
一産婦人科医の私はそう訴えます
そして全国の産婦人科医がそう言っています
どうか、どうかその意味を皆さん考えてみてください

我々は福島大野病院事件で逮捕された
産婦人科医師の無罪を信じ支援します

医師の給与について考えてみます

医師不足の中医師の給与はどうなっているか
残念ながら手元に具体的なデータはありません
ですが
この数年間で急速に進行した医師不足、その中で医師招聘に用意される待遇と
医師不足がまだ深刻化していなかった、例えば2003年の医師平均給与を比べると
現在の招聘時の待遇の方が良いだろうなと言う思いはします

大学病院、公立病院、私立病院、診療科、診療応援回数などで年収の幅は大きいでしょうから
勤務医の年収の平均は幾らであるとは言えても、個々人のばらつきを考えれば
「医師の給与」と言う大雑把な議論をするのは確かに難しいです

ですが、「生活に困る」と言う事態に医師が陥る事は
無茶なローン組み、高額な慰謝料請求、事業の失敗など、比較的稀な事例を除けば確かに
少ない事でしょう
「食うに困らない」職種である事に異論は少ないと思います

お金の事について論じる事は下賤な事
聖職者がお金を要求する事は下賤な事
赤ひげたる医師が高額な給与を要求する事は、言語道断
大きな声で自らの待遇改善を要求する前に、しっかり働け

そんな建前は空気として医療界に漂います

医学部の志望理由は?
と問われた医学部受験生が
「お金のためです」とは決して言わないように

ですが、現在の医師不足の状況と絡めて、医師の待遇を患者側から批判されると
さすがに「ムッ」としてしまうわけです
先日雑誌を読んでいたら投書欄に医師の給与について触れた投書がありました
投稿者曰く
「医師不足ではあるが」「医師は高給で」「庶民の生活を知らず」「医師の給与を減らし」
「社会保障に回せば」「医療崩壊は改善するのではないか」

と言ったような内容でした

確かに日本人の平均給与の数倍を、医師は収入として得ています
それが多すぎるか、少なすぎるか、判断はまちまちですが
上述のような投稿者と意見を同じくする人たちが、ある割合で存在する事は間違いありません

私は医師の給与を減らすという意見に反対なわけではありません
医師の給与が多すぎる→そのお金を弱者に回せ→ひいては医療崩壊が改善する
と言う論理にはついていけませんし、日本到る所で「医師の給与を減らせ」運動でも起こったら
逃げ出したい思いでいっぱいになりますが
それでも「医師の給与が多すぎる」との意見が少数派ではなく、医療崩壊が起こっている現場
でも根底にあるならば
医師の給与を減らせば良いと思います

ですが、その代わり、ただ一つだけ
休みが欲しいと思います
家族とゆっくりする時間が欲しいと思います
給与を減らす分だけ、減らした分だけ、自由な時間を欲しいと思います


医師は時間を切り売りする職種です
自分の時間を切り裂いて、家族の時間を切り裂いて、睡眠時間を切り裂いて
切り裂いた分の時間を
患者さんの「命」と言う時間を延ばしていく事に使います
自分の時間が切り裂かれた分、他人の時間が延ばされます
命に金額はなかなか付けられません
その命を延ばしていく職種だからこそ、切り裂かれた時間に相応の対価が付けられています

医師不足の現状において、医師が自分の時間を増やしたいと願うなら
その職場から去るしかありません
そして、実際に多くの医師が現場を去っていきます
私も、臨界点を突破したら、去っていく事をせんたくするでしょう
そして、それは難しい事ではなく、思いきりさえつけばハードルは極めて低くなっています

そんな状況だからこそ、現状で「医師の給与を減らせ」と言う人達に聞いてみたいのは
医師の給与を減らす→医師の勤務時間が減る→カバーする医師はいない→医療崩壊進行
医師の給与を減らす→医師のモチベーション低下→リスクのある症例お断り→医療崩壊進行
医師の給与を減らす→医師が去る→医師集まらない→医療崩壊進行
などの流れに対し、どれだけの危機意識と対策を持っているかです

給与を減らし、けれど勤務条件は今のまま
と言う方針を立てられる状況と言うのは、被雇用者がその職場にいるメリットがデメリットを上回って
いる時のみです
また職種全体として全国津々浦々、どこへ行っても同一待遇と言う逃げ場のない場合のみです
果たして、日本はそうなるのでしょうか?
また日本と言う枠を超えても、海外と言う選択肢が医師には残されています
その時はどうするのでしょうか?

給与が減っても自分の時間が欲しいと言う医師は少なくないと思います
ですが、医師不足の中抜けた人材をカバーする人がいなければ、誰かの仕事の時間を減らすわけには
いきません
結果、医師の勤務時間は減らせない→医師の給与を減らせないと言う事になっています

勿論医師の勤務時間、労働環境はそのままで、給与のみを減らすと言う選択肢があります
上述の投稿者の意見も「医師の労働時間を減らす代わりに、医師の給与を減らせ」ではなく
今のまま働く事を前提に、給与・待遇を下げろと言っている事は明白です

でも、そんなの嫌です
そこまでのボランティア精神を持てるほど、聖人君子じゃありません

参考はいつもお世話になっている
「産科医療のこれから」様です いつも勉強させて頂いています。ありがとうございます。
http://obgy.typepad.jp/blog/2008/01/post-1341-5.html

管理人様は
「政治に声を届けよう」と言う運動をされておられ、実際に政治家の方々から
お返事が返ってきているようです。
実際に行動に移される事は、本当にお忙しい中大変な事だと思います。
微力ながら私も出来る範囲で声を届けていこうと思っています

また「産婦人科診療ガイドライン 産科編2008」
と言う案が日産婦の方から冊子で会員の元へ届けられています
今のご時世、色々な疾患にガイドラインが作られ、それに沿った治療が求められています
婦人科分野では「卵巣癌」「子宮頸癌」「子宮体癌」などにガイドラインがあり、日々癌診療
をする上で必須の冊子です。
確かにスタンダードな治療をするという事は、日本全国で標準的な治療を受けられると言う
患者さんにとっても有益な点があります。
この疾患のこの病期の治療は「日本全国、いや世界でも、どの病院のどの医師が診ても
同じ治療方針を多くの場合提示しますよ」と言う事は患者さんに安心感を与えます。
そのようなガイドラインが産科にも出来るのなら、何ら問題はないのではないか?
と言う事も出来ると思います。
ですが、婦人科疾患、特に癌診療のようにスケジュールを立て、予定手術が可能な病気
と異なり、1分1時間単位で病状が変化する産科診療においては
一概にガイドラインに則って診療を行う点が難しい点があります

現在の産科診療は、施設によって治療方針の決定にばらつきがあると思います
それが即診療レベルの良し悪しにつがなるわけではありません
施設によって、積極的に行える分野と、防衛的にならざるを得ない分野がどうしても
生じます
例えば常勤麻酔科医がいない病院:夜間は緊急手術でも自ら麻酔をかけなければいけない病院
と、24時間いつでも麻酔科医がいて全身麻酔をかけてもらえる病院では緊急帝王切開、搬送の
タイミングにずれが生じても仕方がありません
また新生児科の受け入れ態勢が、32週2000g以上なのか?28週1000g以上なのか?など
gや週数で自分の病院で可能なのか、他施設への搬送が必要なのかで粘り具合が違ってきます。
そのように施設によってだいぶ状況が異なるのが、現在の産科診療の現状です
(勿論それでも産科医がいる分だけその施設は幸せなのですけれど…)
それを周産期を扱う施設で、全ての医療レベルを統一すると言う事は当然無理なわけです

当然ガイドラインを作る先生方もその現状を知っているとは思いますが、そのガイドラインが学問的
な意味を越えて、順守すべき事柄として独り歩きする事を懸念します
「ガイドラインでは搬送するべきと書かれているのに、どうして搬送が遅れたんだ!」
「ガイドラインではこのように治療するべきと書かれているのに、どうして違う治療をしたんだ!」
と地理的、マンパワー的な要因を無視して訴訟の原因となるようなガイドラインは、あまり好ましい
ものではないと考えます
勿論標準的な治療を行う事は当然であり、それから外れた治療をする際にはそれに対する疑問に
対してプロフェッショナルとして応える責務は医師にあると思います
ですが、病態が目の前で刻々と変化する中、それに対応した事に対し、後方視的に非難されるような
事が続けば、防衛医療に走らざるを得ず、結果母体搬送の頻度は増すと思います

今回のガイドラインに対し、我々産婦人科医は我が事として真剣に向き合う必要があります

話題は変わりますが
上述の
「産科医療のこれから」様の本日のブログに
岡本みつのり衆議院議員の文が載っています
議員のHPも見させて頂きましたが、医師出身の議員で、内科専門医も取得されている先生です
医療に詳しく、現在の医師不足に対し医療知識を有する分現実的な提案をして頂けるのでは
ないかと期待いたします
ですが、「産科医療のこれから」様に載っている文については、疑問を持たざるを得ません。
ご本人は公的な方でもあり、文面に書かれていないお考えもあるかと思いますので、転載は控えます。
元の「産科医療のこれから」様のブログをお読みください。
ただ
「勤務医師の職業選択の自由」「公的医療を公共財」「犠牲」について、考えてみます

勤務医師の職業選択の自由は、公共の福祉の元に制限されて(犠牲となって)しかるべきか?

との問いに私は「No」と答えざるを得ません
私のブログでも、医師不足の解決策として最も安易であるのは「国による医師の人事権掌握」と
書いてきました。そして、それは安易であるが故に、多くの問題点を抱えます
全国に散在する医師をスライド的に強制力を以て配置すれば、短期的に現状が改善するのは
確かです。医師の絶対数が足りないのは確かですが、それでもある地域に存在する僅かな偏在を
均し、マンパワーがより少ない地域に配置する事で一人当たりの負担が減り、地域住民に取っても
医療アクセスが守られると言うメリットはあります

ですが、その人事権、職業選択権は、国に接収されるべきものでしょうか?
それが可能であるならば、徴兵制も紙一重です
国家存亡の急に対し、緊急避難的に人権が制限されると言う事はやむを得ない事かもしれません
それならば、そのような時代に生まれた者として、従わざるを得ない場面もあるかもしれません
ですが、現状はそのような状況なのでしょうか?
今の時点でその伝家の宝刀を抜くと言う考えは、明らかに行き過ぎだと考えます
やむを得ず、それ以外に選択肢がないと言うならばいざ知らず、正すべきを正さず、直すべきを
直さず、困難時に現在第一線で苦しむ職種に今以上の負担を強いる考えは理解できません
また、それは決して長続きしない施策であると考えます

職種に対し誇りは持ちますが、奴隷的苦役に就く位なら食べるに困らない程度に、医師免許を
使った別の仕事を探します。
戦時下ならいざ知らず、まさか拒否したところで獄に繋がれるわけでもないでしょうから。
(違反者を取り締まるなどと考える国なら、さっさと亡命します)

また公的医療が公共財であるならば、それを守る責務があるのは医師ではありません
医師がいなくては守れないのは当然ですが、その医師を守るのが本来の姿であると思います
それを守らず、使い捨てにする発想ならば、そんな公共財に守るべき価値はありません

人身御供の発想で、最大多数の最大幸福の為少数派は虐げられても仕方ないと考える国民が
大多数を占めるならば、そんな国は平均寿命が短くなって衰退する位が丁度良いです



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