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医師不足は避けられますか? 国は何をし、地方はどうしたら良いですか? 医師はどうすべきで、患者は何を求めますか?
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医師不足です

どれだけ医師不足かと言うと

産婦人科医1-2人体制
常勤麻酔科医不在
小児科医不足の為の新生児もある程度まで産婦人科管理

てな病院がまだまだ日本には多く残っています

これがどれだけリスクの高い事か…

幾ら産婦人科医不足、医師の労働環境是正がマスコミを通して訴えられようと
幾ら産婦人科にまつわる常識外の民事・刑事訴訟で現場の医師が訴えられていようと

今なおこんな病院が日本各地に散らばっている事に眩暈を覚えます…

今現在、そしてこれからも
患者が望むのは、マスコミが当然視するのは「安全な医療」です
現場で働く医師にとっても、それは渇望する事ではあります

ですが、それを具現化するには「マンパワー」が必要です
反して、地方におけるこのような病院は地域住民の「アクセス重視」の要望により
存続している弱小病院です
医局派遣の医師達も「医局の強制」により派遣されている状態です

そもそも存続させる事のみが目的化している病院において、
零細医局から更なる追加派遣医師が加わる事はありません
「強制」にてようやく最低限の医師数が維持されている現状です

「死ぬわけではないけれど、希望を持てる職場ではない」

誰が悪いというわけではなく
そこに病院がある事自体が悪いのでしょう

病院があれば地域住民は期待します
期待があるからこそ、予想外の事態が生じた時悲嘆にくれます
そしてその反発が医療訴訟につながります

本来あるべきところではない所に、病院が存続している事が問題なのでしょう
かつてのパターナリズムが幅を利かせていた旧医療現場では、そんな病院にも
存在価値があった事だと思います
そんな病院で働く医師たちにおいても、不便を感じつつストレスの度合いは現在より
随分低かった事だと思います
患者・地域・マスコミの期待値と、そんな病院が提供できる医療レベルがそれなりに
マッチしていた結果でしょう

ですが、現状においては日本全国津々浦々、どんな場所においても標準以上の医療
が要求されます
それからはみ出した結果が不幸な転機となれば、待ち受けるのは警察の介入です

最初に戻ります

産婦人科医が1-2人しかいない病院とは
・24時間365日常にオンコール、休み無しの状態です
・緊急症例が2例重なれば容易にキャパオーバーとなる状態です

常勤麻酔科医不在とは
・緊急帝王切開は産科医自らが麻酔をかけ、麻酔管理をしながらの手術です
・緊急全麻手術は外科医などに麻酔をかけてもらっての手術です

新生児の産婦人科管理とは
・babyに何かあれば褥婦・新生児の両方を相手に闘わなければいけない状態です
・夜間に新生児に異常があると産婦人科医が呼び出される状態です

そんな病院では産婦人科医は産婦人科医・麻酔科医・新生児科医の3つの顔を
持つ事を強要されます

そんな病院で、マンパワーがある程度保たれ、産婦人科医の職務に専念できる施設と
同等の医療を提供せよと、他科(麻酔科分野・新生児分野)においても標準的な医療は
提供せよと、そう求められている現状です

明らかにそれは無理なのです

ですが、その無理が今現在も、日本全国でまだまだ残っています

地域の人はそれでも良いから、取り敢えず病院があれば良いと納得しての事ならまだ
理解可能です
ですが、仮に何か問題となる事があれば
「そんな危険な病院だとは知らなかった」
「そんな病院で医療をやっている事が問題だった」
と責められる事は容易に想像できます

安全な医療を求めれば
自分にとっての病院へのアクセスの良さを犠牲にする必要があると
そんな覚悟を持たず

今と変わらない安全な医療を、今と変わらない利便性で享受できる
いや享受して当然と

そんな風に考える人が地方に存在し続ける限り
こんな病院はいつまでも存在します
そしてそんな病院にいつまでも医師は幽閉されます

そこに病院がある事自体が悪いのに
 
ですが、現実的には医師がどんどん辞めているので、いくら地域住民が望んでも
スパッと医局総引き揚げはいつでも起こりうるのですけどね
早くそうなって欲しいものです








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あけましておめでとうございます

新年1回目の更新です

今年こそ、目に見える形で医師不足を取り巻く環境が改善して欲しいと
願いますが、おそらくこの1年も現実的に改善は無理でしょう

小さな変化が現場に及ぼす影響は小さいままです
焼け石に水の対策はされないよりはましですが、現場のモチベーションを
上げるには程遠いままです

向こう数年で医師不足を劇的に改善する方法はありません
どんなに政府・各党・地方自治体が対策を取っていても
悲惨な現実を短時間で改善させる対策は、今もって挙げられていません

それは、その方法がないからです

「こうすれば今すぐ解決する」
そんな事を言う人の提案は、非現実的な提案でしかありません
そんな提案が現実的に取れるのであれば、既に実行に移されています

そうであれば
前提となるのが「現在の医師不足環境の短期改善は不可能」
すなわち「現場の医師が背負う負担は中長期的にこの先も続く」
と言う厳然たる事実です

もともと医師不足対策については多くの医療系ブロガーによって
崩壊は防げ得ない、焼け野原状態になる
と言う諦めにも似た予想が以前からされていました

現場の医師が感じる医療崩壊・医師不足の皮膚温度は敏感です
1人の欠員によって自らの身に加わる負担の重みを考えれば
敏感にならざるを得ません

個々の医師の頑張りでカバーできる期間も、確かに存在していました
その次のステップとして、医療スタッフに負担を強いる期間
そして患者がやや不便を感じる期間
最終的に患者が路頭に迷う期間←今ここ

医師、コ・メディカル、患者、一般市民、報道機関、行政
それぞれが医師不足・医療崩壊を実感として感じられる皮膚温度は
だいぶ異なっています

一般市民からすると、医師不足・医療崩壊をマス・メディアの報道を通し
耳に入ってくる機会が増えたのは2,3年の短い期間であったかもしれません。
短い期間で急に進行してきたとの錯覚を覚え、何らかの方法で短期での
改善が可能との幻想を持ち得るのもわかります

ですが、現在に至るまでに各業種の臨界点を超え
ようやく一般市民の皮膚温度にまで達した現状は
既にpoint of no returnを超えてしまっています

現場の一産婦人科医としては、そのpointを超えてしまっている現状
イコール「少なくとも向こう数年の労働環境改善が望めない」
となりますから、今後に対して悲観的にならざるを得ません

どこからも援軍の来ない前線で、どこまでも過重労働に耐えろと
そう言われて頑張り続ける理由があるほど、分娩を取り扱う産婦人科医
は恵まれた職業ではありません

「嫌ならやめろ」

と言われてもおかしくありません。本当に。
ですが幸い分娩取扱いを辞めても婦人科、不妊内分泌など、働ける環境は
産婦人科医には幾らでもあり、実際多くのDrが逃散しています

医療圏から数人の医師が去るだけで、壊滅的な状況になる事が確実な地域
が現在日本に多く存在しています
今日も現場で働く医師たちの心の糸がぷっつり切れて
明日離職を決定するかもしれません

そんな中、医師のモラル不足、赤ひげ待望論、頑張れば何とかなると言った
周回遅れの議論や
医師は被害者意識を捨てよ、などの現場無視の言説が
何を生み出し、何を破壊するのかは興味のあるところです

Point of no returnを超えてしまっている現時点においても
当然医師不足に対し中長期的な対策はなされるべきです
ですが、短期においては患者に負担を強いざるを得ませんし
それが一番有効的な対策だと思います

簡単に言えば

・夜中の病院には重症患者以外来させない
 →例えば加算1万円を払ってでも受診せざるを得ないと思う
  切羽詰まった患者以外に夜間の病院を受診する資格はありません
・緊急手術を緊急で出来ないのが今の日本
 →緊急帝王切開を手術決定後30分で開始するなんて妄想は
  今の日本では通用しません
・待ち時間は長くて当たり前
 →あなたの患者の前に呼ばれた人が、あなたの待ち時間の原因で
  あなた自身が、次の患者の待ち時間の原因です
・病院は遠くて当たり前
 →近くに総合病院があって欲しいなんて贅沢は望めないのが
  今の日本です
・一生に多くて数回のお産の時位不便さを甘受する
 →病院が遠くて不便なら、病院の周りに住む位の意識がこれから
  必要です

まあ、どれを取っても不平・不満に押されて諦めてもらう事など
難しいですが

嫌なら辞められる医師と
嫌でも受診せざるを得ない患者
現実的に短期の改善を望むなら、無理を通すしかないのですが。

それが嫌で、いたる所で焼け野原、というのも平等日本の一つの形
ではあります

今年の流れはどうなるでしょうか







医師不足続きの1年でしたが
この1年で何が変わったでしょうか

確かに医療崩壊・医師不足の報道は毎日のように新聞紙を賑わし
様々なメディア・コメンテーターが医師不足について発言してきました

勿論医療従事者に取って望ましいニュースもありました
一番大きなニュースはいわゆる大野病院事件に対し無罪の判決が確定した事です。
また東京都では都立病院の医師に対する給与引き上げ
各地域で産科医に対する分娩手当などの待遇改善がなされるなど
勤務医の労働環境改善に対するコンセンサスが醸成されてきた事に、疑問はありません

一方妊婦受け入れ不能の顕在化
公立病院の休院、産婦人科・小児科の休診など
医師不足が医療へのアクセス悪化と言う点で更に顕在化してきた一年でした

ですが、実際産婦人科の現場に身を置く者としては
世間で一般に騒がれている程、現実世界においては労働環境の変化を全く感じない
そんな1年でした

それは決して望ましい意味ではありません

当直回数は全く減らず、月10日以上
拘束回数は全く減らず、当直と合わせて月20日以上
分娩数は周囲の開業医のお産取扱中止によって増えますし
手術件数も前年比増
給与が増えるわけでも、手当が新設されるわけでもなく
各職種は仕事の中身を変えたくないと、移譲したい仕事は引きうける気配なく
診断書は住所記載、病名ICD分類記載、術式に当てはまるKナンバー記載は煩わしく

雑用から専門的な仕事まで、ごちゃ混ぜになった労働環境が改善された感はありません
産婦人科医療に対するインセンティブがつけられた感もありません

勤務医が実感として改善を感じるまでには
現場まで改善の恩恵が降りてくるまでには
まだまだ時間が必要なようです

順風と逆風が渦巻く中
現場の産婦人科医・勤務医にとって、見える範囲は限られます

地平の向こうから、遠くから援軍が迫っていても
視界に入ってこなければ、それは来ないのと同義です
電波で送られてくる援軍情報も、期待とデマが混じった不確かな情報で
日常に耐える補給となり得ません

そんな中で、一人・また一人と前線から現場の産婦人科医が撤退します

戦死するくらいなら敵前逃亡もやむなし

なるほどな、と。

来年こそしっかりとした補給線が確保されてほしいものです
枯渇したままの現場では援軍を待っていますが
途切れたままであったり、滞ったり、細かったり、短かったり
そんな補給線では、現状を乗り切れません

目に見える形で援軍を、体を休められるように援軍を
理念ではなくて、具体的に援軍を

そうしなければ、焼け野原

SOS,SOS,SOS

師走に現場から援軍を要請します


命を救えるのに救わない事

その事は非難されてしかるべきだと思います

ですが
救いたくても救えない事が多くあります

普段救えるabilityを持っている集団が
そのabilityを発揮できない状態にある時
その状態では、その集団は救うabilityを有していません

命を救えるのに救わないのではなく
命を救いたくても救えない状況です

ですが、そのabilityを有しているかは流動的な評価です
仮に医師個人が臨床能力として技能(art)を有していたとしても
その医師が属す集団がそのartを引き出す許容能力(capacity)を有していなければ
そのartはその状況において存在していないのと同義です

また医師個人が有すartも、その医師が不在若しくは疲労困憊によりfullの状態で
発揮できないのであれば、その集団に人を救うailityは存在しません

そしてその集団のabilityは、一人の患者が集団に呼び込まれる注ぎ込まれる事で
容易に消費されます
消費され、残されたabilityを配分し、病院全体として資源を回す能力が
病院としてのcapacityです

瞬間最大風速的な能力(potential)を以て病院の能力を評価しても
患者の受け入れ状況次第で、予備能力は半減、1/4、容易にゼロとなります
同じ技能を有した医師・スタッフが無尽蔵に補充されるなら、その能力は維持され
次々と来る搬送依頼に対応可能なのでしょう

ですが、マンパワーは有限かつ、現状において非常にpoorな状況です

本来望むべくは、資源が分配されたとしても、次の患者に余力を残せる病院の体制です
そしてそれが世間一般・マスコミが病院に抱く幻想です

ability,capcacityが流動的であるからこそ
retrospectiveに非難がなされます

あそこをああして、ここをこうすれば、
ほら受け入れ可能だったじゃないか!


その意見は非常に有意義なものではあります
その意見が本当に、現実的に、臨床的に、体制的に妥当であるならば
その意見は傾聴に値します

ですが、実際なされるretrospectiveな評価は犯人捜しに終始し
また稀になされる提案は、どこまでもあさっての方向を向いています

現状においてability,capacity、どちらも容易に「谷間」が生じるのが今の医療体制です
その逢魔が時に来る搬送依頼
来てほしくない時に、必ず来る搬送依頼
その依頼を受け入れ可能だと考えるのは、命に対する日本人の驕りとすら思えます

そこに救えない命がある事を、現在の日本人は受容できません
救えて当然だとの思いを捨てきれません

日本人の命に対する、安全に対する、国への純粋なまでの信頼が揺らいでいます
そしてその純粋なまでの信頼があったからこそ、裏切られたとの思いが強く
バッシングとなって出てくるのでしょう

そのような純粋な信頼こそ、医療を追い詰めた幻想であるかもしれないのに

救えない命がある事は悲しい事です
ですが、救いたくても救えない命が、今の日本ではあり得るのだと
そしてそれが世界で当然の事なのだと

どうして日本だけが例外となり得ると思えるのか
その答えを誰か持っていますか?
 

今年は12月27日から1月4日までの9連休の人が多いのでしょうか
休みが多いと嬉しいかと言うと、全くそうではない産婦人科です

年末年始、病院もさすがに定期の手術予定は組みませんし、外来も閉じています
お盆と年末年始は病棟から患者さんが減るのも風物詩の一つです

予定手術の多い婦人科病棟でも、さすがに患者さんが減ります

ですが、正常運転なのが産科です

お産に朝夜は関係ありません
当然年末年始なんてbabyは知りませんし、妊婦さんの陣痛も止まりません
12月31日であろうが、元旦であろうが
生まれる時にお産は突然やってきます

そして当然産科医は分娩に立ち会います

一瞬前まで正常経過を辿っていた分娩経過が、急に緊張が強いられる渋いお産
に変わるのが産科です
突然1分1秒を争って、緊急帝王切開に移行しないといけなくなるのが産科です

年末年始はさすがに休みたいと思うのが人情です
普段会えない遠くの家族、親戚と会いたいの思うのが人情です

ですが医師を職業として選んだのであれば
産婦人科を専攻科として選んだのであれば
そんな幻想は捨てろと教え込まれるのが、産婦人科です

何て前時代的な、現状の医師の労働環境改善が声高に訴えられている中
逆行一直線の教えであろうかと思います

ですが、産科医がいません

当番医は常にお産に追われ(当然子宮外妊娠・卵巣嚢腫茎捻転など緊急疾患も診つつ)
2nd callの拘束医は病棟にかけられる範囲で、しばしの休息を感じます

もう一人医師がいれば、順番に休む事も可能かもしれません
ですが地方に多い二人体制病院ではそれすら望めません
三人体制の病院でも、二人で守っている間の負担はかなりのものです

世間が休んでいる期間ほど、仕事に追われる心の負担は大きくなります
1分1秒を争って、ミスの決して許されない時間が連続するほど
心と体の負担も大きくなります

そして家族にも申し訳ないと、多くの産婦人科医が嘆きます

いっそ休日・祝日なんていらないよと
年末年始も世の中全て、正常運転でいてくれた方がよっぽど良いと
そんな拗ねた考えさえ浮かびます

産婦人科医が足りません

対策としては産婦人科医の集約化が早急に行われるべきだと感じますが
1年、2年で世の中はドラスティックには変わりません
向こう数年この体制は変わらない事でしょう

それまで、何割の産婦人科医が持ちこたえるか
現場からSOSを送ります

各病院の当番医は各病院でまかなうとしても、せめて
年末年始位は帝王切開術の第1助手となる2nd callの産科医は、広域で数人確保して
病院の設立母体を無視してでも、ヘリ・緊急車両でフレキシブルに派遣できるようになれば
各病院1人当直、1人拘束と言った、マンパワーの無駄遣いを改善できるとも思うのですが


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