忍者ブログ
医師不足は避けられますか? 国は何をし、地方はどうしたら良いですか? 医師はどうすべきで、患者は何を求めますか?
[2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

我々は福島大野病院事件で逮捕された
産婦人科医師の無罪を信じ支援します

あれから2年が経ちます
多くの医療系ブログでこの件に対しエントリーされています
その皆さんと同じ気持ちで、私も去年に続き記事を書きます
少しでも、医療従事者以外の心にも、我々の声が届きますように

同じ産婦人科医として、この逮捕はいつ我が身に降りかかるかもしれない事件として
心に刻まれました
医療は絶対ではない事、不確定要素を含み
なし得る最善の治療をしたとしても、患者の状態が快方に向かわない
その事を噛みしめながら日々臨床に当たります
もう少し何かできたのではないか、もっと早く介入できたのではないか
そうすれば患者さんの状態はもっとよくなったのではないか

その振り返りを繰り返し、次の患者さんの診療に当たる毎日です

ですが、そのフィードバックをいかに繰り返しても
避け得ない突発的なアクシデントは、医療には存在します
それを後方視的に非難し、結果論で責めたてる事は非常に簡単です
ですが、それを心ある医療従事者は決して行いません
それが明らかな過失、未熟な技量によるものなら改善の余地はありますが
そうでないならば、その非難は自己満足以外の何も生み出さないからです

産婦人科において一人科長で地域の周産期医療を担う事は
心身ともに大きなストレスとなります
365日24時間on callである事が当たり前
年に200例の分娩が全て上手くいって当たり前
当り前である事が、当り前でない事に気付いてもらえない地域でも
期待に応える責務のみ担わなければいけない、そのストレスは
地域から医師が逃散する大きな理由となります

医師は数々の場面で、その役割を担うに足るかどうか試されます
初めて一人で分娩を取る時、初めて産直に出る時、初めて帝王切開を行う時
初めて一人科長を任される時
それぞれの場面で、ある一定の技量に達したと認められ、次のステップに進んでいきます
それを任されるのはそれまでの背景となる診療と、診てきた患者さんがいるからです

その場面で状況を任された医師が
突発的なアクシデントに遭遇し、結果として不幸な転帰となった時
その医師を責めたてる事は、その場面に遭遇する状況を結果として生み出した
システムの問題を無視し、個人の責任に帰結する乱暴な議論です
人手が足りないのは、その個人の責任ではありません
応援がすぐに駆け付けられない状況は、その個人の責任ではありません

一人が、その状況で出来得るベストな診療を尽くした時
周囲がその個人を責めたてる事は、安全地帯から非難しているだけです
その立場に立った時、その個人以外の誰しも別の方法で患者を救命しうると言うならまだしも
その立場に誰が立ったとしても、避けえない結果であると思うのが今回の事件です

一人の医師が地域の周産期医療を担っていました
そして予期し得ないアクシデントに遭遇しました
医療従事者は医療ミスではないと言いました
マスコミは医療ミスだと騒ぎました
地域の周産期医療を守っていた医師が逮捕されました
他の産婦人科医も、明日は我が身と恐怖を覚え地方から去って行きました
地域の周産期医療を守ってきた産婦人科医は去りました
たった一人の産婦人科医の逮捕に、全国の産婦人科医が反応しました
その逮捕された産婦人科医は、明日の自分だからです

ミスを犯していなくても逮捕される、そんな前例が2年前に生まれました
それが特殊なケースであるならば、全国の産婦人科医は自分の事とはとらえません
その産婦人科医はかつての自分であり、今の自分であり、明日の自分であるかもしれない
そう思うからこそ、全国の産婦人科医が反応しました
ですが、それをマスコミはわかりません。非医療従事者はわかりません

「医療ミスがないならば、なぜ死んだ」

そう問いかけられた時、私は絶望感を覚えます
昨日の、今日の、明日の私が、あの時逮捕されていたかもしれません
だからこそ、理解し合えない現状に絶望感を覚えます

必要なのは訴え続ける事です
わかってもらえるまで、訴え続けます

あの時逮捕された医師は間違った事をしていません
一産婦人科医の私はそう訴えます
そして全国の産婦人科医がそう言っています
どうか、どうかその意味を皆さん考えてみてください

我々は福島大野病院事件で逮捕された
産婦人科医師の無罪を信じ支援します

PR
医師の給与について考えてみます

医師不足の中医師の給与はどうなっているか
残念ながら手元に具体的なデータはありません
ですが
この数年間で急速に進行した医師不足、その中で医師招聘に用意される待遇と
医師不足がまだ深刻化していなかった、例えば2003年の医師平均給与を比べると
現在の招聘時の待遇の方が良いだろうなと言う思いはします

大学病院、公立病院、私立病院、診療科、診療応援回数などで年収の幅は大きいでしょうから
勤務医の年収の平均は幾らであるとは言えても、個々人のばらつきを考えれば
「医師の給与」と言う大雑把な議論をするのは確かに難しいです

ですが、「生活に困る」と言う事態に医師が陥る事は
無茶なローン組み、高額な慰謝料請求、事業の失敗など、比較的稀な事例を除けば確かに
少ない事でしょう
「食うに困らない」職種である事に異論は少ないと思います

お金の事について論じる事は下賤な事
聖職者がお金を要求する事は下賤な事
赤ひげたる医師が高額な給与を要求する事は、言語道断
大きな声で自らの待遇改善を要求する前に、しっかり働け

そんな建前は空気として医療界に漂います

医学部の志望理由は?
と問われた医学部受験生が
「お金のためです」とは決して言わないように

ですが、現在の医師不足の状況と絡めて、医師の待遇を患者側から批判されると
さすがに「ムッ」としてしまうわけです
先日雑誌を読んでいたら投書欄に医師の給与について触れた投書がありました
投稿者曰く
「医師不足ではあるが」「医師は高給で」「庶民の生活を知らず」「医師の給与を減らし」
「社会保障に回せば」「医療崩壊は改善するのではないか」

と言ったような内容でした

確かに日本人の平均給与の数倍を、医師は収入として得ています
それが多すぎるか、少なすぎるか、判断はまちまちですが
上述のような投稿者と意見を同じくする人たちが、ある割合で存在する事は間違いありません

私は医師の給与を減らすという意見に反対なわけではありません
医師の給与が多すぎる→そのお金を弱者に回せ→ひいては医療崩壊が改善する
と言う論理にはついていけませんし、日本到る所で「医師の給与を減らせ」運動でも起こったら
逃げ出したい思いでいっぱいになりますが
それでも「医師の給与が多すぎる」との意見が少数派ではなく、医療崩壊が起こっている現場
でも根底にあるならば
医師の給与を減らせば良いと思います

ですが、その代わり、ただ一つだけ
休みが欲しいと思います
家族とゆっくりする時間が欲しいと思います
給与を減らす分だけ、減らした分だけ、自由な時間を欲しいと思います


医師は時間を切り売りする職種です
自分の時間を切り裂いて、家族の時間を切り裂いて、睡眠時間を切り裂いて
切り裂いた分の時間を
患者さんの「命」と言う時間を延ばしていく事に使います
自分の時間が切り裂かれた分、他人の時間が延ばされます
命に金額はなかなか付けられません
その命を延ばしていく職種だからこそ、切り裂かれた時間に相応の対価が付けられています

医師不足の現状において、医師が自分の時間を増やしたいと願うなら
その職場から去るしかありません
そして、実際に多くの医師が現場を去っていきます
私も、臨界点を突破したら、去っていく事をせんたくするでしょう
そして、それは難しい事ではなく、思いきりさえつけばハードルは極めて低くなっています

そんな状況だからこそ、現状で「医師の給与を減らせ」と言う人達に聞いてみたいのは
医師の給与を減らす→医師の勤務時間が減る→カバーする医師はいない→医療崩壊進行
医師の給与を減らす→医師のモチベーション低下→リスクのある症例お断り→医療崩壊進行
医師の給与を減らす→医師が去る→医師集まらない→医療崩壊進行
などの流れに対し、どれだけの危機意識と対策を持っているかです

給与を減らし、けれど勤務条件は今のまま
と言う方針を立てられる状況と言うのは、被雇用者がその職場にいるメリットがデメリットを上回って
いる時のみです
また職種全体として全国津々浦々、どこへ行っても同一待遇と言う逃げ場のない場合のみです
果たして、日本はそうなるのでしょうか?
また日本と言う枠を超えても、海外と言う選択肢が医師には残されています
その時はどうするのでしょうか?

給与が減っても自分の時間が欲しいと言う医師は少なくないと思います
ですが、医師不足の中抜けた人材をカバーする人がいなければ、誰かの仕事の時間を減らすわけには
いきません
結果、医師の勤務時間は減らせない→医師の給与を減らせないと言う事になっています

勿論医師の勤務時間、労働環境はそのままで、給与のみを減らすと言う選択肢があります
上述の投稿者の意見も「医師の労働時間を減らす代わりに、医師の給与を減らせ」ではなく
今のまま働く事を前提に、給与・待遇を下げろと言っている事は明白です

でも、そんなの嫌です
そこまでのボランティア精神を持てるほど、聖人君子じゃありません

参考はいつもお世話になっている
「産科医療のこれから」様です いつも勉強させて頂いています。ありがとうございます。
http://obgy.typepad.jp/blog/2008/01/post-1341-5.html

管理人様は
「政治に声を届けよう」と言う運動をされておられ、実際に政治家の方々から
お返事が返ってきているようです。
実際に行動に移される事は、本当にお忙しい中大変な事だと思います。
微力ながら私も出来る範囲で声を届けていこうと思っています

また「産婦人科診療ガイドライン 産科編2008」
と言う案が日産婦の方から冊子で会員の元へ届けられています
今のご時世、色々な疾患にガイドラインが作られ、それに沿った治療が求められています
婦人科分野では「卵巣癌」「子宮頸癌」「子宮体癌」などにガイドラインがあり、日々癌診療
をする上で必須の冊子です。
確かにスタンダードな治療をするという事は、日本全国で標準的な治療を受けられると言う
患者さんにとっても有益な点があります。
この疾患のこの病期の治療は「日本全国、いや世界でも、どの病院のどの医師が診ても
同じ治療方針を多くの場合提示しますよ」と言う事は患者さんに安心感を与えます。
そのようなガイドラインが産科にも出来るのなら、何ら問題はないのではないか?
と言う事も出来ると思います。
ですが、婦人科疾患、特に癌診療のようにスケジュールを立て、予定手術が可能な病気
と異なり、1分1時間単位で病状が変化する産科診療においては
一概にガイドラインに則って診療を行う点が難しい点があります

現在の産科診療は、施設によって治療方針の決定にばらつきがあると思います
それが即診療レベルの良し悪しにつがなるわけではありません
施設によって、積極的に行える分野と、防衛的にならざるを得ない分野がどうしても
生じます
例えば常勤麻酔科医がいない病院:夜間は緊急手術でも自ら麻酔をかけなければいけない病院
と、24時間いつでも麻酔科医がいて全身麻酔をかけてもらえる病院では緊急帝王切開、搬送の
タイミングにずれが生じても仕方がありません
また新生児科の受け入れ態勢が、32週2000g以上なのか?28週1000g以上なのか?など
gや週数で自分の病院で可能なのか、他施設への搬送が必要なのかで粘り具合が違ってきます。
そのように施設によってだいぶ状況が異なるのが、現在の産科診療の現状です
(勿論それでも産科医がいる分だけその施設は幸せなのですけれど…)
それを周産期を扱う施設で、全ての医療レベルを統一すると言う事は当然無理なわけです

当然ガイドラインを作る先生方もその現状を知っているとは思いますが、そのガイドラインが学問的
な意味を越えて、順守すべき事柄として独り歩きする事を懸念します
「ガイドラインでは搬送するべきと書かれているのに、どうして搬送が遅れたんだ!」
「ガイドラインではこのように治療するべきと書かれているのに、どうして違う治療をしたんだ!」
と地理的、マンパワー的な要因を無視して訴訟の原因となるようなガイドラインは、あまり好ましい
ものではないと考えます
勿論標準的な治療を行う事は当然であり、それから外れた治療をする際にはそれに対する疑問に
対してプロフェッショナルとして応える責務は医師にあると思います
ですが、病態が目の前で刻々と変化する中、それに対応した事に対し、後方視的に非難されるような
事が続けば、防衛医療に走らざるを得ず、結果母体搬送の頻度は増すと思います

今回のガイドラインに対し、我々産婦人科医は我が事として真剣に向き合う必要があります

話題は変わりますが
上述の
「産科医療のこれから」様の本日のブログに
岡本みつのり衆議院議員の文が載っています
議員のHPも見させて頂きましたが、医師出身の議員で、内科専門医も取得されている先生です
医療に詳しく、現在の医師不足に対し医療知識を有する分現実的な提案をして頂けるのでは
ないかと期待いたします
ですが、「産科医療のこれから」様に載っている文については、疑問を持たざるを得ません。
ご本人は公的な方でもあり、文面に書かれていないお考えもあるかと思いますので、転載は控えます。
元の「産科医療のこれから」様のブログをお読みください。
ただ
「勤務医師の職業選択の自由」「公的医療を公共財」「犠牲」について、考えてみます

勤務医師の職業選択の自由は、公共の福祉の元に制限されて(犠牲となって)しかるべきか?

との問いに私は「No」と答えざるを得ません
私のブログでも、医師不足の解決策として最も安易であるのは「国による医師の人事権掌握」と
書いてきました。そして、それは安易であるが故に、多くの問題点を抱えます
全国に散在する医師をスライド的に強制力を以て配置すれば、短期的に現状が改善するのは
確かです。医師の絶対数が足りないのは確かですが、それでもある地域に存在する僅かな偏在を
均し、マンパワーがより少ない地域に配置する事で一人当たりの負担が減り、地域住民に取っても
医療アクセスが守られると言うメリットはあります

ですが、その人事権、職業選択権は、国に接収されるべきものでしょうか?
それが可能であるならば、徴兵制も紙一重です
国家存亡の急に対し、緊急避難的に人権が制限されると言う事はやむを得ない事かもしれません
それならば、そのような時代に生まれた者として、従わざるを得ない場面もあるかもしれません
ですが、現状はそのような状況なのでしょうか?
今の時点でその伝家の宝刀を抜くと言う考えは、明らかに行き過ぎだと考えます
やむを得ず、それ以外に選択肢がないと言うならばいざ知らず、正すべきを正さず、直すべきを
直さず、困難時に現在第一線で苦しむ職種に今以上の負担を強いる考えは理解できません
また、それは決して長続きしない施策であると考えます

職種に対し誇りは持ちますが、奴隷的苦役に就く位なら食べるに困らない程度に、医師免許を
使った別の仕事を探します。
戦時下ならいざ知らず、まさか拒否したところで獄に繋がれるわけでもないでしょうから。
(違反者を取り締まるなどと考える国なら、さっさと亡命します)

また公的医療が公共財であるならば、それを守る責務があるのは医師ではありません
医師がいなくては守れないのは当然ですが、その医師を守るのが本来の姿であると思います
それを守らず、使い捨てにする発想ならば、そんな公共財に守るべき価値はありません

人身御供の発想で、最大多数の最大幸福の為少数派は虐げられても仕方ないと考える国民が
大多数を占めるならば、そんな国は平均寿命が短くなって衰退する位が丁度良いです

あけましておめでとうございます

2007年は医療崩壊にブレーキがかかるどころか、アクセルが踏まれ続けた1年でした
ブログを立ち上げて約1年ですが、医療を取り巻く環境は改善するどころか悪化し続けています

「医師不足と言うけれど」
その後に続く言葉は

・本当に改善する気はあるのか?
・医師招聘の見込みはあるのか?
・コ・メディカルは医師に協力する気はあるのか?
・頓珍漢な提案に実効性はあるのか?
・これ以上医師の労働環境を悪化させる事に危機感はないのか?
・医療費抑制の方針転換はしないのか?
・患者側の認識に変化はないのか?
・マスコミ報道に悪意はないのか?
・無知なコメンテータの発言は是正されないのか?
・無茶な要求にいつまで耐えなければいけないのか?
・違法逮捕が医療崩壊を加速させる事に気付かないのか?

など憤りと疑問の言葉に基づく意見でしたが
最近は

「医師不足と言うけれど」

・どうせ改善される見込みはないのだし
・いつまでたっても人は補充されないのだし
・頑張っても見返りは何もないのだし
・無茶な期待と要求は一向に減らないし
・相も変わらず無知な報道は多いし
・頑張り続けても体が持たないし
・仕事に追われ続ければ家庭を顧みれないし
・労働基準法が順守される見込みも全くないし
・結局医師の聖職意識とボランティア精神に頼るしかない方策しかないし
・3者(行政・医療従事者・患者)それぞれが被害者感情を持っているし
・今の環境で長期間耐えていく事は絶対に無理だし

もういっそ医療崩壊行く着く所まで行って
格差も医療費負担もアクセスの悪さも
全部仕方ない事だと諦めて
期待する事をやめたら良いのに

と諦めと投げやりな想いが強くなってきた1年でした


極論的ですが
医療崩壊を後押しする報道はあっても
日々流れる医療ニュースで、医療崩壊を食い止める明るいニュースなんて滅多にありません
期待を持つ事も難しくなります

医学部の定員を増やそうと、医療崩壊真っただ中の現状に即効性はありません
ドクターバンクを立ち上げようと、応募する医師がいなければ話になりません
奨学金で医師を確保しようと、現場に立つまで時間がかかり、地方では人さえ集まりません
1人数役の赤カブドクター構想も、産婦人科に身を置く自分は怖くて手を出せません
看護師に医師の役割をさせるのも良いですが、医師の雑務を引き受ける方が先でしょう
署名を集めて医師を招聘できるなら、医師不足なんて問題になりません
議会の決議も結構ですが、その前にお金を出す方が先でしょう
救急患者の「たらい回し」報道も、いっそ引き受けてERの隅っこで放置しておけば良いのでしょうか
集約化への反対も、無い袖は振れのですからどうしようもありません

医師の業務負担軽減目的に、規制改革会議が提案するものなど愚の骨頂ですし
産経新聞はどこまでも「開業医優遇」をやめれば良い、パイは十分との主張を崩さない迷走ぶりですし
やっぱり医師のへき地勤務義務化が必要だと、人権無視の知事は仰りますし
救急患者を拒否しないと、現場無視のお偉方は勝手に息巻いてますし
当直中に飲酒したと、それで医師の場合新聞沙汰になりますし
助産師賛美、助産院擁護の政治家は現場も知らないで好き勝手言いますし

もう明るい話題も、効果的な提案も何もありません
もう期待する方が難しいです

地方では2008年に産婦人科医療の崩壊が更に明らかになります
集約化は避けられません
幾らアクセスが悪くなる、設立母体の違う病院の統合は難しいと言っても
医師がいなくなっては仕方ありません
幾ら恨まれて、責められて、憤られても
その地域に医師を少人数で配置し続ければ、その地域に派遣される事になる医師は
しがらみを断ち切って、遠い地へ去っていきます。簡単に。
そうすればその地域全体の産婦人科医が減少し、大きな視点で見ると得策ではありません
地域を守るか、医師を守るかの選択を迫られます
余裕がある時は両方守られるべきです。
ですが、現状において医師を守る事が出来ないならば、その集合体に属する意味はなく
逃散する医師が続出します
そして、残された医師の負担は加速度的に増え、遅かれ早かれその地域の医療は終了します

それを防ぐために
どんなに医療アクセスが悪化しようと、集約化せざるを得ません
患者に負担を強いる事なしに、現状は改善しない事は明らかです
自助努力で医師不足の影響を最小限にとどめる事が可能であった期間は終わりました
最早、そんな段階ではないと言わざるを得ません
地方議員にとって医師招聘は重要な政策課題であり、地盤から診療科が撤退する事に
大きな拒否反応を見せる事は当然です
ですが、もうそんな事を言える状況ではない位、地方では医療崩壊進行中です

これも全ては国民・住民の選択によるものです
仕方ない事ではあります
でも、本当にもうどうしようもないのでしょうか…

参考はhirakata先生の
がんになってもあわてない
12月20日記事「病院が訴えられた!」
http://air.ap.teacup.com/awatenai/510.html
です


12月20日付信濃毎日新聞朝刊の記事ですが
以下引用
*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/**/**/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/
父親はモルヒネの過剰投与の副作用で無呼吸状態になるなどしたが、
医師は漫然と投与を継続した―と主張。緩和医療の方針についても家族に
十分な説明がないことで父親が治療上の自己決定権を失い、精神的損害を
被ったなどとしている
*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/**/**/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/*/
以上引用終了

癌を扱う診療科に取って、「蘇生不要」:DNARを明らかにする際の病状説明は
非常に大切なものです
十分な現状説明および将来の見通しを以て、患者さん及び家族に取って
よりbetterであると判断した場合、医療従事者+患者+家族の相互理解の下
DNARの方針が決定されます

ですが、どの診療科の医師でも経験のある人がいると思いますが
DNARの方針の病状説明の際、説明を受ける人の選択に頭を悩ませる事が
あります
本来患者の意思決定が最優先されてしかるべきですが、日本において家族の意向を
無視してのDNARはなかなか難しいです
幾ら患者さんが希望されても、家族からの訴えにより逮捕されてしまう可能性が十二分に
あり得る日本の法体系では、医療従事者が患者のみの希望を元に蘇生しない方針を
取る事には尻込みをしてしまいます(それが間違っているというわけではなく)

医療従事者にとっては、「全例急変時は蘇生」の方針を取る方が、クリアカットであり
また悩まないで済む分仕事はスムーズなはずです
医療従事者が好き好んで患者の寿命を短くする方針を取っているわけではありません
あくまで、患者、家族の希望あってのDNARの方針であり
DNARの方針を取る事により、医療従事者+病院にもたらされる利益はありません

それでもなおDNARの方針を取るのは、患者の自己決定権を尊重しQOLを重視する
と言う現在の医療思想基盤あっての事です

ここで問題となるのが
患者の自己決定権以外に、家族及び親族のコンセンサスがいかに形成されているか
です
病状説明を受ける人は、患者以外はその家族のkey personが一貫して説明を受け
患者+家族の同意が必要な場合そのkey personが決定する事が望ましいと考え
ます

限られた医師の時間および有効性を考えれば
同じ話を新しい親族が現れる度にする事、及びそれぞれの親族から同意を得る事は
実際的ではありません
患者以外の家族のコンセンサスは、家族内で形成されるべきであり
その情報伝達は、医師→key person→その他の親族の経路であるべきと思います

ですが、現実的にそれまでの病状経過を熟知していない遠くの親族などが急に
現れ、説明を希望し、治療方針に異議を述べ、家族間での方向性が一致しないという事が
度々あります
ですが、そこで家族間の方向性を一致させる責務を負うのは医師でしょうか?

医師には患者の病状について情報を開示し説明する責任はあります
ですが、その説明責任を負う対象は無範囲ではなく、限定されていると考えます
勿論時間の許す限り、それ以外の人(患者が望むなら)に説明する事は道理だと思いますが
次から次に現れる関係者に、同じ内容を同じ密度で説明する事は現実的に無理です

また治療方針などはそれぞれの考え方に委ねられる、正解のない選択肢を示される
事も多々あります
それを決定できるのは患者及び家族であり、またそれを決定する責任も伴います
そのコンセンサスは家族間で決定されるべきであり
医師はあくまでそのプロセスの仲立ちをするものでしかありません

今回hirakata先生の病院が訴えられた上記の報道に対すると言うわけではなく
一般論的に私はそう考えます

患者自身の寿命をわずかでも縮める事を許さないと言うならば
DNARと言う言葉自体、日本ではあり得なくなります
ですが、現実的に患者のQOLを考慮すれば、その選択肢なくして緩和医療は出来ません

誰しも寿命を縮める事に関与する決定をする事には戸惑いを覚えます
ですが、それを望むならば、それは誰かが責任を以て決定しなければいけない事です
そしてその責任を有するのは医師ではありません

緩和医療、終末期医療、病状説明の理解が、患者家族に深まる事を望みます



忍者ブログ [PR]
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
フリーエリア
最新CM
[07/14 mw]
[05/14 小山 昌義]
[05/14 小山 昌義]
[05/14 小山 昌義]
[04/30 小山 昌義]
最新TB
プロフィール
HN:
trias
性別:
非公開
自己紹介:
twitterでもつぶやいています
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
アクセス解析
カウンター